eしずおかイベント情報

静岡市葵区御幸町にある、文化施設のサールナートホールです。 三階には、静岡シネ・ギャラリーも併設しています。 いろいろな催し物、映画を上映しています。

映画上映情報

この運命から、目を逸らさない――。 『ドライブ・マイ・カー』

舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)は妻で脚本家の音(霧島れいか)と充実した生活を送っていたが、家福が外出から帰ってみると、音が意識不明で倒れており、そのまま亡くなってしまう。家福は音のある秘密を掴んでいたが、それは解決されないままとなった。2年後、演劇祭の演出家として家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の上演準備のため広島に赴く・・・



村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」を原作に同作収録の短編集「女のいない男たち」から設定やストーリーの一部を取り込んで映画作品としたもの。
原作をもとにした映画を観る場合、原作を読んでから観るか、観てから原作を読むか、という問題は常につきまとう悩ましい問題です。
ノーベル賞に手が届くかも?という著名な作家の原作であればなおのこと。
とはいえ、この作品についてはまず原作を読んでから観た方が良い、と私は断言してしまいたい。
物語のキモでもあるので、詳細は書きませんが、メインとなる「ドライブ・マイ・カー」に付け加えられた要素のウェイトは予想よりも大きく、原作を読んでいてもネタバレとはならないこと、「ドライブ・マイ・カー」以外の短編から取り込まれた要素が本編でどのように顔を出すのか興味深く観ることができること、更にその融合が予想を大きく超える形で物語が発展していくところを堪能できるからです。
これが原作未読だと、この3時間にも及ぶ作品のどこに上記のそうした工夫の成果が現れているのか知る楽しみはスポイルされてしまいます。
なにより村上春樹の文章はふわっとした文体の中に独特の比喩表現や物語の深淵に読者を引き込む吸引力が素晴らしく、やはりまず文学として堪能することが、この作品を一粒で二度美味しい体験に繋がると思うのです。



映画で肉付けされたもののなかでとりわけ大きなウェイトを占めるのがチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」。
家福が上演しようとしている「ワーニャ伯父さん」は多国籍の俳優による多言語演劇(観客は背景の字幕でセリフの内容を知る)で、その読み合わせの場面、また、家福が移動中のクルマの中で聞くカセットテープの中身がそのセリフ、という結構な濃度で登場します。
これが感情表現を排した棒読みで、これはいったいどういう意味をもつのか、家福(=濱口監督)の意図を量りかね、少々退屈と思う人もいるかもしれませんが・・・そこはひとまず我満してセリフをよく聞いて戴きたいところ。



この「ワーニャ伯父さん」に纏わる部分以外にも、原作との違いは意外に多くあります。
原作では家福があまり売れない俳優であることや音が人気女優であること、音と過去に繋がりのある若手俳優の高槻(岡田将生)やドライバーの渡利みさき(三浦透子)に肉付けされたキャラクター像、また家福の車のSAAB900が黄色のコンバーティブルから映画では赤のキャンバストップに変わっていることなど、少ないとはいえない細部設定の変更以外に、物語の進展そのものが独自の世界を築いていくことです。
その内容は観てのお楽しみなのですが、この原作と映画の違いこそ、この映画の見どころでもあるのです。



原作のイメージを生かし、プロットや設定を大きく変えずに忠実に再現することを目指すのか、それとも内容の改変を厭わずに独自の世界を描くのか、その方向づけは製作者の専権事項かと思いますが、後者を選ぶ場合はそれなりの覚悟と技量を要することは間違いないと思います。
この長大な映画で、独自の境地を拓きながら観客を未開の領域に連れていく濱口監督の驚くべき物語は、村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」であるのと同時に濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」でもあるのです。
一つの作品を再構築して新たな魅力を引き出す驚き、原作の持ち味とオリジナルな要素の共存のすばらしさこそ、この作品の最大の魅力であると思いました。
カンヌでの脚本賞受賞もむべなるかな、と納得しないわけにはいかないのでした。


『ドライブ・マイ・カー』
2021/8/20(金)~9/9(木)迄上映予定

2021/8/20(金)~8/26(木)
①10:30~13:35
②13:50~16:55
③18:00~21:00

2021/8/27(金)~9/2(木)
①10:20~13:25
②13:55~17:00
③18:00~21:00

2021/9/3(金)~9/9(木)
時間未定
決まり次第掲載

Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at 15:44

緊急事態宣言下での営業について

 令和3年8月17日、新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条第1項に基づく緊急事態宣言を受け、政府対策本部の基本的対処方針に基づき、当館サールナートホール/静岡シネ・ギャラリーの営業を以下の通りといたします。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

【実施期間】
令和3年8月20日(金)~9月12日(日) 予定

【実施内容】
営業時間を21:00までとする。
各劇場の収容人数を50%で営業する。
※当館は全席自由席ですが、お客様同士の間隔を空けてご着席ください。
※ご鑑賞の際はマスクの着用をお願いいたします。


今後ともサールナートホール/静岡シネ・ギャラリーを何卒宜しくお願い申し上げます。

Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at 10:47

自分で選ぶ未来のために 『17歳の瞳に映る世界』


高校生のオータムはあるとき自分が妊娠していることに気づく。検査は陽性で、中絶するにはどうしたらよいかネットで調べると、自分の住んでいるペンシルベニアでは両親の同意が必要で、隣のニューヨークに行けば、同意なしで中絶できることを知る。スーパーで一緒に働く従妹のスカイラーとともにニューヨーク行きのバスに乗る・・・



まるでヨーロッパ映画のような、抑えたトーンと陰鬱な雰囲気。
オータムが妊娠した経緯や相手についての説明は無し。
ただ、オータムがこの妊娠を決して望んでいなかったことは劇中の描写からも明らかで、スカイラーはそのことを察し、カネを用意して同行することにした。
オータムの父親はどうやら継父で、オータムにあからさまに不快な対応をする。それだけでなく、この映画に出てくる男は全員不快なゴミクズとして描かれ、まともな男は一人も登場しません。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』でもそうでしたが、この男に対するステレオタイプ的拒否反応は監督の男性観の表れか、それとも作劇上の必要から意図的になされたものか、一見ちょっと判断の難しいと感じるところ。
映画は完全にオータムの一人称目線で終始し、その点で邦題は正鵠を得ているとも言えるのですが、問答無用でゴミクズにカテゴライズされてしまう私ども男の立場からすると、そういう男ばかりじゃない!という思いは捨てきれず。
しかし、少なくともオータムの目線に寄り添うならば、彼女の世界ではそうした男しかいない、あるいは〇〇に手足がついただけの醜悪な生き物のようにしか見えない、ということを納得しなければならないのでしょう。
彼女が望まない妊娠をしたことがどれほどのトラウマとなっているかを見ると、それもむべなるかな、と思わざるを得ないのです。
オータムとスカイラーがニューヨークに向かい、中絶手術を受けに行く過程を淡々と描写することで、映画は行間を読んで彼女の心中を察するように、観る者に実質的に明示しているわけです。



周囲の男はクソばかり、相談に乗ってくれる相手はほとんどおらず、中絶のカウンセリングをしてくれる団体の関係者はどれも事務的ながら的確にアドバイスを加え、援助の方法についても具体的に案内してくれる。
日本で未成年の妊娠について、こうしたアドバイスをしてくれる組織がどれほどあるのか実態はよく知りませんが、この映画に出てくるような手厚い援助は望めないのではないでしょうか。
寄り添ってくれるスカイラーは心の支えにはなっても、この忌まわしい事態を相談する気にはなれないようです。
彼女にとって、むしろこうした赤の他人の的確なアドバイスの方が問題の実際の解決には役に立っているように見えます。
一面では、本来親身になって相談する相手がいる方が良いに決まっているわけですが、そうせざるを得ない彼女のおかれた状況が、この映画の主眼とするテーマでもあるわけです。



原題の“Never Rarely Sometimes Always”はそれだけでは何の意味なのか理解できないのですが、物語のなかでそれが持つ意味が明らかになるとき、彼女が頼りにしなければならない相談相手が今の彼女にとってアドバイスを受けるのに適している理由、また相変わらず世の中に蔓延るジュエンダーバイアスが、女性にとって著しく不均等であることを如実に示していることを思い知る、大きなインパクトを受けるのです。

旧来の価値観から抜け出せない男性にとっては耳の痛い話かもしれませんが、知らず知らずのうちにジェンダーバイアスの不均衡に手を貸していたりしないか、自問自答するためにも多くの人が観ておくべき映画だと思うのでした。

『17歳の瞳に映る世界』
2021/8/13(金)~8/19(木)まで上映
①17:20~19:05

Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at 12:28

それでも、生きていく。 『トゥルーノース』

世界規模で著名人などの講演を主催するTEDカンファレンスに12年前北朝鮮から亡命してきたという男性が講演をはじめる。彼の話は北朝鮮の強制収容所での言語に絶する過酷な体験談だった・・・



ポリゴンを意図的に残した3Dアニメーションの映像は一見技術的な制約によるもののように見えますが、語られる壮絶な内容を表現する手段として慎重に選ばれた結果であるとのこと。
主人公のパク一家は日本からの帰還事業により平壌で暮らしていたが、あるとき父親が失踪、主人公のヨハンと妹のミヒ、そして母親のユリは強制収容所に連行される。
強制収容所の様子はまったくナチスの強制収容所と相似形。
到着するなり囚人の監視役に盲目的に従うことを強制され、「烈火のごとき滅私の奉仕によってのみ、偉大な祖国に対する諸君らの罪は赦される」と放送が流れる。
監視役は収容者の中から選ばれ、収容所の看守から労役の実務管理を任されている。ナチスの収容所の「ゾンダーコマンド」と同じ。
収容所に流れるスローガンが“Arbeit macht frei”(働けば自由になれる)と同義なのは言うまでもないところ。
そして収容者たちを定期的に集めて行わるのが密告の集会。
反党的・反国家的策動を見つけた者には褒美として食料が与えられ、密告された者はときには「完全統制区域(total control zone)」送りとなる。
「完全統制区域」とは何か?
それはあまりに恐ろしくてここに記すことはできません。




あまりに過酷な、想像を絶する非人間的扱い、更にはナチスの収容所のように終にはガス室で“処理”されることすらない、完璧なまでのこの世の地獄。
このポリゴンっぽさを残す3Dアニメで描かれる世界で、多少は過酷さがスポイルされるというのはなんとなく理解できるところ。



主人公のヨハンは孤児となったインスと友達となり、この収容所で大きくなっていくが、生き残るために次第に人間性を失い、監視役に接近していく・・・
物語はこの地獄のような状況をどこまで描くのか?という陰鬱な雰囲気に陥りながらも、絶望的な状況のなかでも人間性を失わない人の行いも描いていきます。
またその一方で、ヨハンたちのサバイバルゲームとしての物語の推移にも観るものを引き付ける吸引力があるのが一種の驚き。
特定の脱北者をモデルにしているのではなく、そこで行われている事実の積み重ねを紡いで物語としたことで、単純な事実の再現にはない物語性をも備えている、ということでしょう。



冒頭のTEDカンファレンスの場面がエピローグで戻ってくるとき、人々の自己犠牲の尊さ、希望を失わないことの大切さ、地の果てで未だに継続しているこの世の地獄で(収容者は現在でも約12万人と推定されるとのこと)、今なお苦しめられている人々のおかれた状況に思い至ることになるのでした。

『トゥルーノース』
2021/8/13(金)~8/19(木)まで上映
連日①16:05~17:40


Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at 10:36

謎が、満ちてゆく 『ライトハウス』

19世紀後半のニューイングランド。絶海の孤島にある灯台に二人の灯台守が赴任してくる。二人の任期は4週間。年長で経験豊富な男(ウィレム・デフォー)は元船乗り、新任で若い男(ロバート・パティンソン)は元木こり。到着するなり過酷な仕事に加え年長の男は若い男に高圧的で、二人の間には険悪な空気が流れる・・・



冒頭の二人が灯台に到着する場面からして不穏な空気に満ち、狂暴で重厚なサウンド、深い霧から浮かび上がる灯台、重苦しい音楽・・・怖い映画のオーラが全開。
アスペクト比はスタンダードサイズより更に横幅の狭い1:1.19という、殆ど正方形といってよい画角。
むさくるしい男二人に灯台が画面を目いっぱい塞ぎ、これまたビジュアル的にこれ以上ないほどの息苦しさ。
二人の男の間にある不審や諍いの芽のほかに、二人には最初からそこはかとなく漂う狂気が窺われる導入部からして、相当の緊張感を持って画面を凝視することになります。
二人のうち、どちらがまともで、どちらが狂気に侵されているのか?ひょっとして両方ともか。
幻覚とも妄想ともつかない妖しげな描写が時折挿入されて、更に雰囲気を異様なものとしていきます。
不穏な空気の醸成とともに、観ている方も平常な感覚が次第に失われ、この映画の世界に取り込まれていくのです。
そこから先は何も知らない方がよいので、あとは本編を観てのお楽しみ。



ロバート・エガース監督の前作『ウィッチ』は17世紀のアメリカ北東部で、敬虔な清教徒の一家の赤ん坊が人さらいに遭ったことで降りかかる疑心暗鬼と宗教という人の心の拠り所に起因する悲劇がテーマとなっています。
本作でも絶海の孤島にある灯台という閉鎖空間に閉じ込められた男二人が、次第に平常心を失っていくことで起きる悲劇が、さまざまな神話的イコンや人を幻惑するシンボルとしての灯台のメタファーといった要素が大きなうねりのように積み重なってクライマックスに至る、ある種の酩酊状態のうちに狂気が暴走する様子が描かれます。
人の深層心理が露わになることで理性を失い、人の体をなさなくなる様子を描いている、という点で、両作には通底するテーマが本質的に同じであることが窺われるのでした。



微に入り細に入り、さまざまな技巧やメタファーをちりばめられて作られた本作は、観る者の脳裏に焼き付き、また改めて鑑賞したくなる、スルメ映画ともいえるでしょう。
2度目、3度目と鑑賞するうちに新たな発見をすることで、ますます作品にのめり込む、ある種の中毒性があると感じました。

監督の次回作”The Northman”はバイキングの復讐劇らしいですが、やはり注目せずにはいられません。

『ライトハウス』
2021/8/6(金)~8/19(木)迄上映予定
2021/8/6(金)~8/12(木)
①15:25~17:20
②19:25~21:20
※8/12のみ、②の回休映

2021/8/13(金)~8/19(木)
時間未定
決まり次第掲載

静岡シネ・ギャラリー公式HP


Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at 15:38

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(劇場直通)

054-250-0283

〒420-0857
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