2021年08月23日
| 映画上映情報| ラウペ
舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)は妻で脚本家の音(霧島れいか)と充実した生活を送っていたが、家福が外出から帰ってみると、音が意識不明で倒れており、そのまま亡くなってしまう。家福は音のある秘密を掴んでいたが、それは解決されないままとなった。2年後、演劇祭の演出家として家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の上演準備のため広島に赴く・・・
村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」を原作に同作収録の短編集「女のいない男たち」から設定やストーリーの一部を取り込んで映画作品としたもの。
原作をもとにした映画を観る場合、原作を読んでから観るか、観てから原作を読むか、という問題は常につきまとう悩ましい問題です。
ノーベル賞に手が届くかも?という著名な作家の原作であればなおのこと。
とはいえ、この作品についてはまず原作を読んでから観た方が良い、と私は断言してしまいたい。
物語のキモでもあるので、詳細は書きませんが、メインとなる「ドライブ・マイ・カー」に付け加えられた要素のウェイトは予想よりも大きく、原作を読んでいてもネタバレとはならないこと、「ドライブ・マイ・カー」以外の短編から取り込まれた要素が本編でどのように顔を出すのか興味深く観ることができること、更にその融合が予想を大きく超える形で物語が発展していくところを堪能できるからです。
これが原作未読だと、この3時間にも及ぶ作品のどこに上記のそうした工夫の成果が現れているのか知る楽しみはスポイルされてしまいます。
なにより村上春樹の文章はふわっとした文体の中に独特の比喩表現や物語の深淵に読者を引き込む吸引力が素晴らしく、やはりまず文学として堪能することが、この作品を一粒で二度美味しい体験に繋がると思うのです。
映画で肉付けされたもののなかでとりわけ大きなウェイトを占めるのがチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」。
家福が上演しようとしている「ワーニャ伯父さん」は多国籍の俳優による多言語演劇(観客は背景の字幕でセリフの内容を知る)で、その読み合わせの場面、また、家福が移動中のクルマの中で聞くカセットテープの中身がそのセリフ、という結構な濃度で登場します。
これが感情表現を排した棒読みで、これはいったいどういう意味をもつのか、家福(=濱口監督)の意図を量りかね、少々退屈と思う人もいるかもしれませんが・・・そこはひとまず我満してセリフをよく聞いて戴きたいところ。
この「ワーニャ伯父さん」に纏わる部分以外にも、原作との違いは意外に多くあります。
原作では家福があまり売れない俳優であることや音が人気女優であること、音と過去に繋がりのある若手俳優の高槻(岡田将生)やドライバーの渡利みさき(三浦透子)に肉付けされたキャラクター像、また家福の車のSAAB900が黄色のコンバーティブルから映画では赤のキャンバストップに変わっていることなど、少ないとはいえない細部設定の変更以外に、物語の進展そのものが独自の世界を築いていくことです。
その内容は観てのお楽しみなのですが、この原作と映画の違いこそ、この映画の見どころでもあるのです。
原作のイメージを生かし、プロットや設定を大きく変えずに忠実に再現することを目指すのか、それとも内容の改変を厭わずに独自の世界を描くのか、その方向づけは製作者の専権事項かと思いますが、後者を選ぶ場合はそれなりの覚悟と技量を要することは間違いないと思います。
この長大な映画で、独自の境地を拓きながら観客を未開の領域に連れていく濱口監督の驚くべき物語は、村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」であるのと同時に濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」でもあるのです。
一つの作品を再構築して新たな魅力を引き出す驚き、原作の持ち味とオリジナルな要素の共存のすばらしさこそ、この作品の最大の魅力であると思いました。
カンヌでの脚本賞受賞もむべなるかな、と納得しないわけにはいかないのでした。
『ドライブ・マイ・カー』
2021/8/20(金)~9/9(木)迄上映予定
2021/8/20(金)~8/26(木)
①10:30~13:35
②13:50~16:55
③18:00~21:00
2021/8/27(金)~9/2(木)
①10:20~13:25
②13:55~17:00
③18:00~21:00
2021/9/3(金)~9/9(木)
時間未定
決まり次第掲載
Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at
15:44