こんにちは!のむげです。
すっかり温かくなり、春めいてきましたね~!

きっとまた寒の戻りで寒くなるだろうと思いますが。。
春になるとうきうきするというか、やっぱり気持ちが華やぎますよね♪
そんな中、たまには楽しい音楽で、春を感じさせる鮮やかな一日なんていかがでしょうか??
すでに“福”支配人からブログがあったと思いますが、
4月22日に、当館では『春のディキシーランド・ジャズコンサート』を開催致します!
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SBS学苑パルシェ校共同企画『春のディキシーランド・ジャズコンサート』
世界的な4本弦バンジョー演奏家・青木研とディキシーランドクラッカージャックス&原さとしによるジャズコンサート。
幕末、アメリカに渡った少年通訳・立石斧次郎の歌「トミー・ポルカ」の再現演奏を始め、ディキシーランド・ジャズの
お馴染のナンバー「聖者の行進」や映画音楽など、解説を交えながらお楽しみいただきます。
日時:平成24年4月22日(日)15:30~
会場:サールナートホール
出演:青木研とディキシーランドクラッカージャックス&原さとし
料金:一般:3,150円、シネ・ギャラリー会員:1,500円
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今回、
シネ・ギャラリー会員様は、なんと1500円でご鑑賞頂けます!!聞きやすいお値段だと思いますので、ご興味ある方は是非♪
出演して下さるのは、
青木研さんと原さとしさん、そしてディキシーランドクラッカージャックスの皆さまです!
バンジョーを使い、美しいジャズ音楽を奏でて下さることだと思います。
ディキシーランド・ジャズ、並びに出演者の方々については、“福”支配人がブログ書いていたので、
歴史マニア(決して歴女とは呼ばれたくない)のむげが、先に立石斧次郎氏について、書かせてもらいます!
立石斧次郎さんという方、ご存知でしょうか??
この立石斧次郎(たていしおのじろう)さんは、幕末から明治時代に通訳として活躍した人物ですが、
アメリカにその名をとどろかせた『イケメンサムライ』だったんです!!!(もうこの時点で私的にうはうは)
幕末という中でアメリカで超人気者ってどんなことだと思われた方、是非続きを読んでみて下さいね♪
当時、鎖国状態だった日本ですが、世界は植民地を利用して儲けようよ!みたいな雰囲気があり、列強諸国は元気があったのです。
イギリス、アメリカなどの大国はアジアを利用して儲けようと船でいろんな所に行っていました。
当時から中国は巨大な産業の場であり、列強諸国は何とかして中国を植民地化しようとしていました。
日本は中国と貿易する際に、燃料の補給などの中継点+貿易相手として狙われました。
日本は限られた国にしか開港しないよ!と言い張っていましたが、黒船に乗ってきたペリーに開港そして貿易を迫られます。
もちろん列強諸国からは力で植民地化するぞ~という脅しを掛けられてます。
このままじゃまずい!開国しないと戦争?負けたら植民地?!となった日本は、
やむなく鎖国状態から、1859年に日米修好通商条約を結び、アメリカとの交易を始めます。
その際条約批准書の交換のために、1860年に日本人77名はアメリカの軍艦、ポータハン号に乗り込みアメリカへ向かいました。
勝海舟やらが乗った『咸臨丸』は、このポータハン号の護衛艦として港を出港したのです。
そしてポータハン号の77名の中に、若干16歳の少年、立石斧次郎は、無給通詞見習という肩書で乗船しました。
彼の天才的な語学力と、物怖じしない性格、武士でありながら茶目っけもあったそうで、たちまち船内の外国人たちの人気者になりました。
アメリカに上陸するや否や、気品や容姿にも恵まれた斧次郎は、トミーという愛称で呼ばれ、たちまちアメリカ人の人気の的になり、熱狂的に歓迎されました。
ちなみに愛称の『トミー』は諸説ありますが、斧次郎さんの幼名が『為八』で、それを聞いたアメリカ人が『トミー』と呼んだらしいそうです。
ちなみにトミーがアメリカに姿を現すや否や、アメリカの婦女子たちは、
「トミー!! トミー!!」と大声で叫び、
トミーが笑いかければ、大歓声。
トミーの行くとこどこへでも追っかけて行き、
トミーにラブレターを渡そうと必死に髪を振り乱し、
トミーをなんとかして一目見ようと大騒動になったそうです。
……ヤバい。何かを感じる

元来ミーハーの私には、彼女たちの気持ちがよ~くわかる。。

もし私がその時代アメリカにいたとしたら、確実に追っかけしてるわ~

と思いました(え)
そしてついに、当時アメリカでは『ポルカ』というチェコの急速な二拍子の舞踊が流行っており、トミーをもとに『トミー・ポルカ』という楽曲が作成されました。
内容も、
『通りがかった
人妻も娘も、思わず夢中で取り巻く
かわいい男、小さな男~♪』
という感じで、本気でトミーがアメリカで愛されていたのが伝わってきます。
当時若干16歳。
と、言ってもこの時代数え歳でしょうから、14、15歳くらいでしょうか。
何枚も写真が残っていますが、まだ幼さの抜けない、無邪気な斧次郎さんにすでに私もメロメロ。。

武士というものは寡黙が美徳と称されたあの時代に、こんな人がいたのか、と驚きました。
日本に帰ってきてからは、戊辰戦争中に大阪城で慶喜公と米公使の通訳の大任を果たし、そこでビールを注がれて微笑む斧次郎さんの写真も残っています。
(この写真は個人的に衝撃。幕末=ビールがあまりにも結び付かない。。)
その後明治期の激動の中で非常に苦労されたようですが、晩年静岡の下田で息を引き取られたそうです。
斧次郎さんのひ孫さんが斧次郎さんについてのHPを公開されているので、
もっと詳しく斧次郎さんについて知りたい方、トミー・ポルカについて知りたい方は是非アクセスしてみて下さいね。
→
こちら
もちろん『春のディキシーランド・ジャズコンサート』で、トミー・ポルカの再現演奏がありますので、
ちょっとお時間ある方、トミー・ポルカと楽しいジャズコンサートをお楽しみいただければと思います。
ああ。。映画の時よりも力入ってるんじゃない?なんて言わないで下さいね~(笑)
それではこれにてドロン
