この映画はナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが2013年に語った30時間に及ぶ独白を収録したもの。
収録当時103歳、その顔には深い皴が刻まれ、これまでに背負い込んできたものの大きさが偲ばれますが、その発言は100歳を超えているとは思えないほどにはっきりしており、記憶している当時のことを詳細に語っています。
ポムゼルはベルリン郊外の普通の家庭に育ち、ユダヤ人弁護士のところで秘書などをしたのち、国営放送局に勤めることになった。国営放送に入局するにあたり、ナチスに入党した方がよいと勧められて1933年にナチスに入党。その後、1942年に宣伝省に移り、ゲッベルスの秘書の1人として終戦まで勤務。終戦時は宣伝省の地下壕でソ連軍に拘束され、5年間の抑留のうえ釈放された、とのこと。2017年1月27日没。

(C) 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH
戦後69年目にして当時のことを語るその内容は、厳格だった父のこと、政治的に無関心だった若い頃、ナチス入党の経緯、ユダヤ人の友達のこと、ゲッベルスの印象、終戦時のことなど、さまざまな内容に及んでいますが、全体を通してその発言を聞いてみると、やはりアイヒマンとの類似性を想起しないわけにはいきません。
アイヒマンは忠実なナチス信奉者ではあったが官僚的実務執行者であって、ホロコーストの主導的推進者ではなかったと主張、ハンナ・アーレントから「悪の凡庸さ」と評されましたが、ポムゼルもその立場は従属的で、宣伝省での勤務も職業上の要請であったとの主張で一貫しています。
政治的に無関心であったことをポムゼルは非常に大きく反省していますが、これはポムゼル一人のというより、現代にも通じる「サイレントマジョリティ」の本質的問題と考えられるのです。
ナチス党員であることが職業上の有利となることについては指揮者のカラヤンなどの例にみられるとおり、当時はありふれたことだったと考えられますが、ポジティブなナチス信奉者ではなかった市井の人々までが党員としてナチスに一定の関与をもつことでその運動を下支えした、という事実は非常に重要な問題と考えます。
ポムゼルが言うように政治的に無関心であること自体は断罪されるべき要素とはいえませんが、今日のように世界中でポピュリズムの嵐が吹き荒れる時代には、ナチスのような抑圧的勢力の台頭に対して無関心でいることなく、NOと言える積極さが健全な民主社会を守るうえで非常に重要な意味を持つと考えなければならないでしょう。

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また、ユダヤ人の弾圧については部分的には見聞きしたものの、まさか大量虐殺が行われていたとは知らなかった、と答えています。宣伝省という政府の枢要な機関の、それもゲッベルスの秘書というナチスの中枢にいたはずのポムゼルのこの発言をそのまま受け止めてよいのかどうかは難しい問題ですが、映画は独白の間に強制収容所でのユダヤ人の様子やナチスの非人道性を告発する戦時中のアメリカ映画からの映像などを挿入することで、ポムゼルの知り得た狭い世界の外側では何が起きていたのかを映し出す構成となっています。
この独白を通して、抑圧体制の内部にいたということの特異性、そのなかで人々がどのような心理に陥るのか、ごく普通の人々が体制の歯車として否応なく嵌め込まれてしまうことの恐ろしさを目の当たりにすることになりますが、その中で今日的に最も重要な意味を持つのは、やはり、政治的無関心や社会正義に反する動きに対する不感症という個人の行動規範が、ときには破滅的結末を招く危険性を示唆している、という点にあるのだと思います。
なお、今回の映画の公開に合わせて同名の書籍が出版されていますが、映画では収録しきれなかった独白全体を通してみると、映画とはまた違ったポムゼル像を知るのと同時に、更に多様な問題意識に気づくことができました。
『ゲッベルスと私』
7/21(土)~8/3(金)連日①10:15
https://www.sunny-film.com/a-german-life
Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at
11:34