今や世界で最も有名なストリートアーティストであるバンクシーがパレスチナのヨルダン川西岸地区、キリストの生誕地でもあるベツレヘムに描いた壁画を巡る騒動とその周辺を追ったドキュメンタリー。
バンクシーをはじめとするストリートアートはその出自からしてなにかしらのメッセージ性を帯びることが運命づけられているといえますが、今回ベツレヘムに描かれた絵については、なおいっそうその性格が色濃く表れた、ひとつのシンボル的存在といえると思います。
この映画で主に取り上げられているロバの身分証をチェックするイスラエル兵のストリートアート”Donkey Documents”はさまざまな点から物議を醸し出しました。

私などが一見する限り、この絵はロバですら身分証をチェックするほどのイスラエル側の過剰な警備状態を揶揄する意図で描かれたもののように見えますが、一方でロバは蔑視の象徴であり、パレスチナ人の一部には西欧人であるバンクシーがパレスチナ人をロバに見立てて軽蔑している、と捉えた人も居たようです。この絵を壁から剥がして転売することに手を貸したタクシー運転手の男がインタビューに出てきますが、彼の発言を聞いていると、長年イスラエルに肩入れしてきた西欧諸国に対する根強い不信が根底にあると感じずにはいられません。
一方で、ベツレヘムの市長もインタビューに出演し、バンクシーなどのストリートアーティストがベツレヘムに来て分離壁をはじめとする紛争の象徴に風刺画を描くことの意義を見出し、応援したい旨の発言をしています。(市長がバンクシーのことを「バンスキー」と何度も言い間違えるところは痛恨のミス!でしょうけど)
イスラエル兵が来て絵を塗りつぶすように住民に指示して回っているとのパレスチナ住民の話にもあるとおり、パレスチナ・イスラエル双方にとってそこに描かれたストリートアートが無視することのできない政治性を帯びていることが分かります。
一方で、これを剥がして転売した側の事情へ映画は進んでいきます。
以前から何度も話題にされてきましたが、そもそも他人の建築物に無断で描かれているストリートアートは本質的には犯罪行為であり、その所有権は一体誰に帰属するのか?著作権は誰にあるのか?といった問題はストリートアートが単なる落書きだった時代から付きまとう問題でもあります。

剥がす輩は盗人と決めつけ、作者の公共にたいするメッセージ性を否定するものだとするバンクシーの代理人や、あっという間に風化して無くなってしまうストリートアートに莫大な価値を見出しオークションに掛ける人々などさまざまな人の発言を採り上げ、一筋縄ではいかないこの問題の本質を明らかにしていきます。
この映画では更にストリートアートが描かれたその場所と絵の内容は一つの文脈の中に不可分に存在しており、剥がして転売することはその文脈を切り離してしまう行為であるとする意見や、壁から切り離して文脈が断たれることと絵の内容理解とは別物だとする対立した意見も採り上げていきます。
それぞれに一面では納得すべき筋道があり、容易に白黒つけることのできない問題は、ストリートアートという本来インスタントで短期的なはずの落書きが投げかける問題の多様さと、芸術の根源的価値という、想像以上に幅広く示唆に富む問題の広大さに気が付くことになるのです。
私たちは、単なる壁の絵を巡るさまざまな思考実験の果てに映画館から放り出され、どのように自分の思考を整理するのか?この映画は見終わってからが本番といえるのかもしれません。
考え過ぎてお帰りの際に交通事故など起こさないよう、皆様ご注意くださいませ。
Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at
15:26