2019年06月27日
| 映画上映情報| ラウペ
2004年、ケンタッキー州の大学に展示されている時価1200万ドルという貴重本「アメリカの鳥類」を強奪しようと試みる学生たちの顛末。
クソみたいな日常に嫌気が差し、何か大きなことをしようとして大変な目に遭う、いわば大バカ者の顛末を描くという点で、『アイ・トーニャ 史上最大のスキャンダル』に似た物語ですが、この作品の際立った特色は実行者本人が登場して当時の心境を語ること。
主役4人のキャラクターはそれぞれが個性的でドラマのアンサンブルとして完璧なうえ、本物と俳優の性格描写が完コピと思えるほどそっくりで、ドラマと本人の登場シーンにまったく違和感がないのがこの作品の傑出したところ。
そのおかげで単なる独白と再現ドラマというのではなく、事件の端緒から実行に至る各過程での心境を本人が語り、またそれ以上のプラスアルファがあることで、物語とドキュメンタリーが融合、いや、化学反応を起こして、これまでなかったような新感覚の体験をすることができるのです。
「アメリカの鳥類」はその希少性と長辺が約1mという巨大さでつとに有名な本ですが、ここの展示室には司書が一人だけで警備は手薄に思えたところがミソ。
『レザボア・ドッグス』などの犯罪映画を観て計画を練り、それに必要な仲間と役割分担まで決めるまでは、それなりに上手くいきそうに見えます。
バカをやって人生の突破口としたいという希望はまあなんとなく、理解はできるのですが、どこかで引き返す、中止しようと思えばできたはず、と後になってから思っても、その向こう側を覗くためにはやってみるしかない、という理屈を超越した本能的な衝動に打ち勝つことができなかったのでしょう。
それを本人たちが口にするリアリティにこれ以上の説得力があるでしょうか。
学生時代、先輩と呑んだあとに近くのファミレスまでコーヒーを飲みに行くことになり、営業していなかったので結局朝まで数時間歩き通し、明け方の吉野家で牛丼食って電車で帰る、といったバカなことをしたことがありましたが、ここで登場する主人公たちはその遥か斜め上を行く、ケタ違いのバカ共であることは間違いありません。
しかし、ある意味では「向こう側」に行ってしまったらどうなるのか?を身をもって示すことで、それを後に続くバカ共に思い止まらせよう、という貴重なメッセージでもあるのです。
実際に犯行に及んでみると、映画で観るのとやるのとでは大違い、ビビッて計画通りにはいかないことが起きたり、想定していなかったあまりにも稚拙な問題で計画が大きく狂って右往左往するところなど、現実と“つくりもの”との違いをはっきりと見せつけます。
ことの顛末が全て語られて、単なる「若気の至り」では済まされなかった本物の後悔が滲む本人たちの表情を見つめるとき、なんとも言いようのない感情に襲われ、ただ茫然とエンドクレジットを見続けるしかなくなるのです。
"This is not based on a true story."から"not based on"が消えて"true story"となる冒頭のクレジットは、本物だけが持つ真実の重みを端的に表しているのだと、全編を観終わって実感したのでした。
Posted by サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー at
10:00