フィンランドの男たちにとってサウナがどのような存在なのかを解き明かすドキュメンタリー。
本作は2010年の映画で、フィンランドと日本の国交樹立100周年を記念しての公開とのこと。
さまざまなサウナが登場し、それを紹介していくドキュメンタリーなのかと思いきや、実際にはずいぶん印象が違いました。
キャンピングカーや、電話ボックス、古いサーブの乗用車を改造したサウナも登場したり、自宅や街中の大きなサウナまで、さまざまなサウナが登場し、確かにそれだけでも充分楽しめるのですが、この映画の主題は多様なサウナを紹介することにあるのではなくて、そこで語られる人生模様にあります。
日本でも温泉に浸かりながら親交を深める習慣は大変お馴染みなものですが、フィンランドのサウナはまさにそうしたところ。
裸の付き合いができてこそ親交も深まるというもの。
レーティングがR15なのも、包み隠さず裸の付き合いをしているところが“そのまま”映っているためで、観ている方も裸の付き合いをしている気分になってきます。
最初は50年連れ添った夫婦が登場しますが、その後はほぼおっさんがメイン。
一人で入っている場面があるのは電話ボックスのサウナのシーンだけで、それ以外は複数人での登場。
そこで語られる会話をじっくり聞く、というスタイル。
映画を観ている、というより、一緒に打ち明け話を聞く感じ。
その話は他愛もない話というのはほぼなくて、離婚で別れた娘と会えない悲しみや、壮絶な過去を背負う男の回顧話、子供を亡くした父親・・・聞いているだけで身に詰まされるような話。
どう声を掛けたら良いのか分からず、思わず肩をそっと叩いてあげたくなる、といった雰囲気に、第三者的視点を忘れ、身近な友達の相談に乗っている気分になってくるのです。
これが、そこらのベンチや飲み屋で話を聞いている、という状況ならば、まだ多少の距離感はあるかもしれませんが、サウナの中で、というのはやはり、「裸の付き合い」という独特の親近感の中でしか成立しない、逃げ場のない近接した付き合い特有の真剣さが作用していると思わずには居られません。
さまざまな打ち明け話を聞いて、その濃密な中身にすっかりのぼせてしまいそうになるうちに、映画では更に思いがけない一撃が待っているのです。
そのおかげで、映画がロウリュの湯気のごとく、すっと高いところに昇華していく感覚を味わいました。
観終わって劇場を後にするときには、登場した男たちにすっかり入れ込んで、不思議な連帯意識を感じながら帰途に就くのでした。
劇中で登場する「リスの歌」というのはフィンランドでは有名な童謡のようです。
日本人には温泉、フィンランド人にはサウナ、いろいろな意味で、心を癒すきっかけは裸の付き合いにあるのだと、また、フィンランド人も日本人も根っこはそんなに違わないんだなと、妙なところで腑に落ちる一作なのでした。