1976年6月27日、アテネ発パリ行きのエールフランス機がハイジャックされ、ウガンダのエンテベ空港に着陸。解決までの7日間を描く群像劇。
1960年代の後半から1970年代はハイジャックの最盛期で、日本でもよど号事件やダッカ日航機事件などの忌まわしい事件が起き、国際的テロ活動の主要な手段のひとつとして世界を震撼させていた時代。
そのなかでもエンテベ空港奇襲作戦は人質救出作戦の中でも際立った成功例として当時から大きな話題となっていたものです。
事件の顛末はこれまでに本作を含めてこれが4回目の映画化。
しかし、石油危機後の微妙な時代にアラブ・イスラエル関係を題材する映画は禁忌とされ、事件の半年後に公開されたカーク・ダグラス、バート・ランカスター、エリザベス・テイラー、アンソニー・ホプキンス、リチャード・ドレイファスなど錚々たる豪華キャストで製作された『エンテベの勝利』は、日本公開は1週間で打ち切り。
1977年制作のチャールズ・ブロンソン主演、アーヴィン・カーシュナーナー監督の『特攻サンダーボルト作戦』は当初『エンテベ急襲』という邦題だったものが公開延期となり、10年後の1987年にようやく公開。1989年のTV放送の際にはウガンダを「ダウガン」、アミンを「アモン」と吹き替えて放送。
1977年制作のクラウス・キンスキー主演のイスラエル映画『サンダーボルト救出作戦』は日本未公開・・・と事件の知名度とは裏腹に不遇を囲っていたのでした。
パッケージソフトにも恵まれず、今でもかろうじてレンタルなどで観ることが出来るのは2012年にDVD化された『特攻サンダーボルト作戦』のみという状況。
ちなみに『特攻サンダーボルト作戦』はB級感漂う超ダサな邦題から想像するイメージとは裏腹に、真面目に作られたなかなかの傑作。
事件から40年以上の歳月が流れ、エンテベの名前を冠する映画が普通に劇場で公開されることは、事件が歴史の一部となり、ようやく環境が整ってきたことの左証でもあるのです。
前置きが長くなってしまいましたが、本作は事件の顛末を描くにあたって、犯人のうち二人のドイツ人とイスラエルのラビン首相とペレス国防相、救出部隊の指揮官のひとりを主要な登場人物として描くことで、事件を多方面の立場から描いていきます。
犯人のドイツ人は極左テロ組織「革命細胞」の男女をダニエル・ブリュールとロザムンド・パイクが演じ、PFLPのテロを支援するドイツ人という微妙な立ち位置を浮き彫りにしています。
イスラエル人を人質にパレスチナの政治犯と極左ドイツ人政治犯の釈放要求という相乗り状態が生み出す軋轢が次第に大きくなっていく様子、交渉から除外され、専ら人質の監視に就かされる二人の陥る八方塞がり感が、なんともいえない空虚な絶望感に繋がっていきます。
ロザムンド・パイクが7日目の日中にとる、ある行動が大変印象に残りました。
更に本作の大きな見せ場のひとつに穏健路線のイツハク・ラビン首相と強硬路線のシモン・ペレス国防相のやりとりがあります。
リオル・アシュケナージとエディ・マーサンという俳優の個性のコントラストが際立っていますが、二人の立場の違いは第四次中東戦争後のアラブの石油戦略の発動とともに起きたオイルショックの後、イスラエルは国際的に微妙な立場に立たされることで、対パレスチナ問題についても転換を迫られる事態となりつつあることが背景となっています。
救出作戦の決行についてはペレスが押し切った形となっていますが、その後のペレスが穏健派に転向し、ラビンの暗殺後にペレスがそれを引き継ぐことになるのは歴史の皮肉というべきか、それともそうなる運命だったのか。
劇中でラビンが敵と交渉しなければこの戦いはずっと続く、と述べるところは後の時代へのひとつの予言として重みのある言葉だと思います。
映画の冒頭、イスラエルの指揮官の彼女が所属する現代舞踊団の演技の模様が映し出され、劇中でフラッシュバックのように幾度も登場する場面は、このドキュメンタリータッチの映画の中にあって唯一抽象的な描写であり、見方によっては全体からは少々浮く印象もあるのですが、物語の表層から見える部分以外のところに目を向けて欲しい、というメッセージということなのかもしれないと思いました。
緊迫のドキュメンタリータッチな展開、1976年という世界情勢が今日では大きく様変わりしつつも、なにも変わっていないところもある、現代史の1ピースとなる歴史的ハイジャック事件の顛末に触れることで、時代のパースペクティブを実感できる印象的な作品だと思います。
『エンテベ空港の7日間』
11/9(土)~11/22(金)連日①12:00 ②17:40
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