1933年、首相に就任したヒトラーに最初にインタビューした米英ジャーナリストとして知られるガレス・ジョーンズはそのすぐあと、ソ連に行きスターリンへの取材を計画する。大恐慌のさなか、ソ連だけが繁栄しているのはなぜか、内情を取材し、ナチスと対峙すべき世界の勢力図のビジョンを得るために。スターリンとの面会は果たせなかったが、“繁栄”のカギを握る場所はウクライナにある、との情報を得る。ウクライナに潜入したジョーンズは想像を絶する悲惨な光景を目の当たりにする・・・
この作品では歴史的事実関係を知らないと、登場している人物が誰で、何をしているのか分からない描写が続くのですが、観続けることで次第に明らかになってくるところも多いので、ネタバレにならない程度に予備知識を身につけている方がスムーズに入り込みやすいかと思います。
以下、パンフレットに載っていないところなどを補完しつつ、トリビアを記していきます。
映画の冒頭をはじめ何回か「1984年」の作者であるジョージ・オーウェルが手紙や原稿をタイプする場面が登場しますが、そこで書かれている原稿が「動物農場」。
スターリンの恐怖政治をそのまま動物に置き換えた物語は、1944年に執筆され、刊行は第二次大戦終結後の1945年ですが、映画で10年近く後のオーウェルの執筆場面を登場させるのは、「動物農場」の舞台となった時代が1930年代の半ば、この映画の時代とぴったりリンクするからだと思います。(オーウェルとガレス・ジョーンズの関わりは史実では詳細不明ですが、映画ではその接点も描かれています。)
ジョーンズが取材をしようとしているソ連という国がどれほど危険なところであるのか、劇中でその背景の一部を描くのに合わせ、スターリン支配下のソ連の底知れぬ闇のメタファーとして「動物農場」を引用することで、その恐怖の全体像を観る者の潜在意識に植え付ける効果は絶大だと思いました。
モスクワに飛んだジョーンズがまず会う相手がニューヨーク・タイムズのモスクワ特派員ウォルター・デュランティ。
デュランティはソ連を巡る一連の報道が評価され、1932年にピューリッツァー賞を受賞。
1924年の列車事故により左足を切断。ウサギの頭の飾りのついた杖を使っているのはそのためです。
モスクワ到着後にデュランティに誘われ、ジョーンズが赴いた自宅で破廉恥極まりない夜会を開いてる場面が実際のディランティのイメージとどの程度合致しているのか分かりませんが、ソビエト当局から厚遇を受けていたであろうことは容易に想像がつきます。
また、あえてここでは説明しませんが、物語のもっとも重要な要素として登場するのが「ホロドモール」。
「チャイルド44」の原作の冒頭には、その想像絶する悲惨な状況が緻密な描写で綴られており、本作で描かれた状況をそのままトレースする内容に驚きまます。
また「動物農場」の雌鶏たちの運命はこのときのウクライナがモデルとなっています。
ジョーンズのウクライナ潜入後のソ連と英国の間で国際問題化するのが「メトロ-ヴィッカース事件(Metro-Vickers Affair)」
メトロポリタン・ヴィッカース社は20世紀の前半まで英国に存在した重工業会社で、1930年代半ばにはソ連に発電設備の設置・生産で協業関係にありました。
ジョーンズが英国に帰還したのち地元で面会しようとするのがウィリアム・ランドルフ・ハースト。『市民ケーン』のモデルとして知られるアメリカの新聞王。
この映画は巨大な権力=国家が社会的弱者を犠牲にして見せかけの発展を演出することの恐怖、ガレス・ジョーンズのジャーナリストとしての矜持と、権力の公式発表を右から左に発表することでプロパガンダの手先に堕する記者の危うさ、それに第二次大戦という未曽有の危機を迎える前夜に驚愕すべきジェノサイドの事実があり、世界大戦の混乱に紛れて忘れ去られた過去を掘り起こす意義、といった多層な意味合いが含まれているのだといえます。
映画を観てはじめて知る事実に驚愕しつつ、改めて過去に何があったのか知る契機となることもまた、映画の持つ役割として価値のあることではないかと思うのです。
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』
2020/9/18(金)~10/1(木)迄
2020/9/18(金)~9/24(木)
①9:50~11:50
2020/9/25(金)~10/1(木)
①11:55~13:55
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