医師で作家の長尾和弘の著作「痛くない死に方」「痛い在宅医」を原作とするドラマ。
在宅医の河田(柄本佑)の体験を通して理想的な在宅医療や終末期の緩和ケアのありようを模索していく。
ドラマで採り上げられる二人の患者は、一方は死の苦しみに悶え、苦痛のうちに亡くなり、もう一人は痛みを緩和しつつ穏やかな死を迎える理想的な患者。
ドラマといっても、大きく異なる2つの事例を挙げることで一種のケーススタディ、終末期医療の現状に対する啓発を目的とした作りになっていて、その過程で終末期医療をめぐるさまざまな問題と実態を知ることができるようになっています。
特に苦痛のうちに亡くなる一人目の患者の様子は、誰もがこんなふうに死にたくない、と思う壮絶なもの。
家族の苦悩もいかばかりかと、観ていて大変辛いものがあるのですが、これはそういうケースもある(できれば避けたい)ということで我慢して観る必要があります。
肺ガンの末期患者ということで河田は教科書的対応に終始し、亡くなってから先輩医師の長野(奥田瑛二)の助言からある重大な間違いを認識する。
長野は「カルテでなく人を見ろ」と言う。
専門家であるはずの医師が患者をどう診るのか、特に転院してきた患者の状態をカルテのみで判断し、直面する症状への個別の対応を軽視することがどれほど危険なことか、医師
に対する啓発の意味を込めているのです。
患者となる我々は、できればこうした医師に当たらないで欲しいと願うばかりなのですが、医師の診療方針に対してできるだけ詳細に目的と内容を聞いたり、セカンドオピニオンも考慮するなどの自衛手段も頭に入れておく必要があるのかな、と思うのでした。
一人目の患者が亡くなって2年後、在宅医として一段成長した河田は末期肺ガン患者、本多(宇崎竜童)の担当となる。
元全共闘の闘志だったという本多は屈託のない性格で川柳を帳面に書きとるなどして、あまり病気を苦にしていない様子。
長野に帯同するなどして、病院での「管だらけ」ではない、「良い枯れ方」を目指す在宅医療の在り方を実践する河田にとって、本多の存在は相互に刺激し合える理想的な関係に見えます。
思ったことを素直に口に出す本多の話は医師と患者のコミュニケーションが患者に相応しい治療を受けやすい環境づくりに重要なのだと知らされるのでした。
そういう本多にも最期のときが近づいてくる。
「死の壁」という体が死を受け入れるための台風のようなもの、という状態を迎える患者がどういう様子なのか、看取りを体験した人には分かるのかと思いますが、やはり人が死ぬということは決して楽なものではないのだという認識を新たにするのでした。
しかし、緩和医療の最善の結果とは人を苦痛から遠ざけ、できるだけ穏やかに死を迎えるためのできるだけの手段なのだと感じました。
また、劇中さまざまな事例で提示されるのが、在宅と病院での死の在り方。
病院での死は延命こそが至上命題であり、患者が「溺れる」ように苦しむ「管だらけ」の医療や、腹水を残すことで患者の延命に繋げる手法や、誤嚥性肺炎の一般の認識と実態とのズレといった問題提起は観ていてなるほどと思うことも多くありました。
現実には在宅で終末期医療を受けることは家族や費用的な面での負担を考えるとなかなか難しいのが現実かと思いますし、本作で描かれた治療法が全ての患者で一般化できるとは考えない方が良いのかな、とも思うのですが、誰もが必ず迎える「死」についての実際や、実生活の中でどのように対処していかなければならないのか、多くの知見を得ることができるのでした。
本多は在宅での緩和医療を選択するにあたりリビング・ウィル(living will)の誓約書に署名します。
自分の尊厳死のために、「痛みを緩和する治療以外の延命治療を拒否します」という内容の生前から効力をもつ遺言、ということですが、エンディングにその全文が掲げられ、患者は自らの死の在り方について事前に決めておくことができるのだということが分かります。
自分に避けられない「死」が明らかとなったときにどうするか、今のうちに考えておきたいと思うのでした。
『痛くない死に方』
3/19~3/25 連日①9:50
3/26~4/1 連日①9:50 ②11:55
https://itakunaishinikata.com/
(C)「痛くない死に方」製作委員会